Faith,Hope,Love
ハレルヤ
田村のぞみです。
ちょっと時間が空いてしまいましたが、日々の中で教えられたこと
忘れないように書いてみようと思います。
日曜日の礼拝で、牧師先生がこんなことを言いました。
「愛するには、信じるという前提がなくてはならない。」
それまでほぼ同義語だと思っていた私にとって、更に深く考える機会になりました。
今年、‘人を愛せる人‘になりたい。
というのが密かな目標だったんですね。(言っちゃったけど汗)
ただいきなり皆を、とはいかないので
まず近くにいる人たちのことを愛せるように、助けてくださいと神様にお祈りするようになりました。
どんな時も、私が願うような反応が相手から帰ってこなくても
受け入れて、赦そう!と思いました。
その人のありのままを、受け入れたいと思ったのです。
今思えば、一方的な思いだなと感じます。
でもある時友達に
「あなたのことも、話して」
と言われたとき戸惑いました。
受身だったから。
特に、苦しんでいるとき 悩んでるとき
大好きな相手だから、楽しくもない暗い話聞かせたくなくて。
だから私は悩むとすぐ寝るか、一人でどっか行ったりして
とりあえず人に会わないようにしてました。
だけどその相手によると
「何だか分からないけど、一人で辛そうなの見てるのも辛いんだよ。」
って言われて驚きました。
悩みなんて言ったら、面倒くさいやつだと思われるんじゃないか
うじうじ悩んでるやつなんて、嫌われるんじゃないか
それが怖くて
そう言ってもらえても、中々変われなかった。
でもまた別の友達に
「弱音言っても嫌いにならないから、信じて話せ!」
と言われて
ああ、それも相手を信じるってことに入るのか~!と
また驚いたんです。
受け止めてくれないでしょ
と決め付けたのは私で。
たとえば言った後に、答えが予想外なものであったら
それを聞く勇気も無かったんだと。
信じるって、ただ黙って待ってれば良いんじゃなくて
どんな事があっても、無くても
お互いに
正直に向き合っていく、ってことなのかもしれないと思うようになりました。
だけどやっぱり、完璧じゃないから傷付けあうし
悲しくなることも、迷うこともある。
その時、天の神様に祈れるし
聖書があるって感謝なことだと思います。
自分を守りたくなっても、人に色々言われても
何が正しいことか
本当はどうするべきか
変わらない真実があることは、本当にかえがえのない宝だと。
不完全な私たちが
創造主とのはじめの愛に還るとき
周りの人たちとの間にも、その愛が流れていく。
今は自分が強すぎて邪魔しちゃってるかもしれないけど、そうなるように願います。
牧師先生は前にこんなことも言ってました。
「愛なる神と完全な‘信‘の関係になりたい。
それがわたしたちの望みだよ。」
その時初めて、自分の名前に感動したんです。
私も同じのぞみを抱いて、歩んで生きたいと思います。

田村のぞみです。
ちょっと時間が空いてしまいましたが、日々の中で教えられたこと
忘れないように書いてみようと思います。
いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリント人への第1の手紙 13-13)
日曜日の礼拝で、牧師先生がこんなことを言いました。
「愛するには、信じるという前提がなくてはならない。」
それまでほぼ同義語だと思っていた私にとって、更に深く考える機会になりました。
今年、‘人を愛せる人‘になりたい。
というのが密かな目標だったんですね。(言っちゃったけど汗)
ただいきなり皆を、とはいかないので
まず近くにいる人たちのことを愛せるように、助けてくださいと神様にお祈りするようになりました。
どんな時も、私が願うような反応が相手から帰ってこなくても
受け入れて、赦そう!と思いました。
その人のありのままを、受け入れたいと思ったのです。
今思えば、一方的な思いだなと感じます。
でもある時友達に
「あなたのことも、話して」
と言われたとき戸惑いました。
受身だったから。
特に、苦しんでいるとき 悩んでるとき
大好きな相手だから、楽しくもない暗い話聞かせたくなくて。
だから私は悩むとすぐ寝るか、一人でどっか行ったりして
とりあえず人に会わないようにしてました。
だけどその相手によると
「何だか分からないけど、一人で辛そうなの見てるのも辛いんだよ。」
って言われて驚きました。
悩みなんて言ったら、面倒くさいやつだと思われるんじゃないか
うじうじ悩んでるやつなんて、嫌われるんじゃないか
それが怖くて
そう言ってもらえても、中々変われなかった。
でもまた別の友達に
「弱音言っても嫌いにならないから、信じて話せ!」
と言われて
ああ、それも相手を信じるってことに入るのか~!と
また驚いたんです。
受け止めてくれないでしょ

と決め付けたのは私で。
たとえば言った後に、答えが予想外なものであったら
それを聞く勇気も無かったんだと。
信じるって、ただ黙って待ってれば良いんじゃなくて
どんな事があっても、無くても
お互いに
正直に向き合っていく、ってことなのかもしれないと思うようになりました。
だけどやっぱり、完璧じゃないから傷付けあうし
悲しくなることも、迷うこともある。
その時、天の神様に祈れるし
聖書があるって感謝なことだと思います。
自分を守りたくなっても、人に色々言われても
何が正しいことか
本当はどうするべきか
変わらない真実があることは、本当にかえがえのない宝だと。
不完全な私たちが
創造主とのはじめの愛に還るとき
周りの人たちとの間にも、その愛が流れていく。
今は自分が強すぎて邪魔しちゃってるかもしれないけど、そうなるように願います。
牧師先生は前にこんなことも言ってました。
「愛なる神と完全な‘信‘の関係になりたい。
それがわたしたちの望みだよ。」
その時初めて、自分の名前に感動したんです。

私も同じのぞみを抱いて、歩んで生きたいと思います。
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