Faith,Hope,Love

ハレルヤ
田村のぞみです。
ちょっと時間が空いてしまいましたが、日々の中で教えられたこと
忘れないように書いてみようと思います。
いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリント人への第1の手紙 13-13)

日曜日の礼拝で、牧師先生がこんなことを言いました。

「愛するには、信じるという前提がなくてはならない。」

それまでほぼ同義語だと思っていた私にとって、更に深く考える機会になりました。

今年、‘人を愛せる人‘になりたい。
というのが密かな目標だったんですね。(言っちゃったけど汗)

ただいきなり皆を、とはいかないので
まず近くにいる人たちのことを愛せるように、助けてくださいと神様にお祈りするようになりました。

どんな時も、私が願うような反応が相手から帰ってこなくても
受け入れて、赦そう!と思いました。
その人のありのままを、受け入れたいと思ったのです。
今思えば、一方的な思いだなと感じます。

でもある時友達に
「あなたのことも、話して」
と言われたとき戸惑いました。
受身だったから。
特に、苦しんでいるとき 悩んでるとき

大好きな相手だから、楽しくもない暗い話聞かせたくなくて。
だから私は悩むとすぐ寝るか、一人でどっか行ったりして
とりあえず人に会わないようにしてました。

だけどその相手によると
「何だか分からないけど、一人で辛そうなの見てるのも辛いんだよ。」
って言われて驚きました。

悩みなんて言ったら、面倒くさいやつだと思われるんじゃないか
うじうじ悩んでるやつなんて、嫌われるんじゃないか
それが怖くて

そう言ってもらえても、中々変われなかった。

でもまた別の友達に
「弱音言っても嫌いにならないから、信じて話せ!」
と言われて

ああ、それも相手を信じるってことに入るのか~!と
また驚いたんです。

受け止めてくれないでしょ
と決め付けたのは私で。
たとえば言った後に、答えが予想外なものであったら
それを聞く勇気も無かったんだと。

信じるって、ただ黙って待ってれば良いんじゃなくて

どんな事があっても、無くても
お互いに
正直に向き合っていく、ってことなのかもしれないと思うようになりました。

だけどやっぱり、完璧じゃないから傷付けあうし
悲しくなることも、迷うこともある。
その時、天の神様に祈れるし
聖書があるって感謝なことだと思います。

自分を守りたくなっても、人に色々言われても
何が正しいことか
本当はどうするべきか
変わらない真実があることは、本当にかえがえのない宝だと。

不完全な私たちが
創造主とのはじめの愛に還るとき
周りの人たちとの間にも、その愛が流れていく。
今は自分が強すぎて邪魔しちゃってるかもしれないけど、そうなるように願います。

牧師先生は前にこんなことも言ってました。
「愛なる神と完全な‘信‘の関係になりたい。
それがわたしたちの望みだよ。」

その時初めて、自分の名前に感動したんです。

私も同じのぞみを抱いて、歩んで生きたいと思います。

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